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25件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2019-03-22 第198回国会 衆議院 法務委員会 第5号

他方、減る方の数字でございますけれども、平成三十二年一月までに定年退官を迎える判事見込み数は十五名程度というふうに思っておりまして、さらに、このほかに、年によって人数にばらつきがあって予測が難しいところもございますけれども、依願退官、願いによりまして退官する判事も一定数おるというところが予想されます。ここ数年ですと、年間二十数名から三十数名というところが多いというところでございます。  

村田斉志

2015-04-15 第189回国会 衆議院 法務委員会 第7号

ということは、空き枠、さっきは、四十五プラス十九で六十四人あれば全員行けますという話だったんだけれども、実際には、六十四どころかもっとふえるはずなんですね、依願退官があるから。だったらなおのこと、余裕でみんな上がれるじゃないですか。だから私は、増員は必要なくなるんじゃないですかと言っているわけですよ。この観点からですよ。  それでよろしいですか。

階猛

2015-04-15 第189回国会 衆議院 法務委員会 第7号

先ほど申し上げました定年退官が見込まれております数と、これまでの例から大ざっぱに推測をいたしました見込まれる依願退官数を合わせて、増員をしていただくとちょうどということでございます。(階委員「もう一回」と呼ぶ)  失礼いたしました。定年退官の数と……(階委員「十九人ですね、定年退官」と呼ぶ)はい。

堀田眞哉

2014-04-24 第186回国会 参議院 法務委員会 第12号

申入れの内容でございますが、この福岡地裁判事戒告官報掲載と同日付けで依願退官したため、訴追委員会での審査の対象とする機会がなかったということで、今回のような事態を踏まえ、裁判官弾劾制度が機能する機会を確保することは裁判所に対する国民信頼をより確かなものにすると考えられることから、最高裁判所においては、前回の意見の趣旨を更に踏まえて、今回のように、裁判官が故意によって被害者の権利を侵害するという

安浪亮介

2012-03-16 第180回国会 衆議院 法務委員会 第3号

当時、彼の上司であった、大阪地検検事正としての監督責任を問われた三浦福岡高検検事長は、減給の後に依願退官。大阪高検次席検事として監督責任を問われた太田京都地検検事正は、戒告。そして、本部伊藤鉄男次長検事は、大臣訓令に基づく検事総長訓告。  大臣も法曹のことはよく御存じですからお尋ねしますけれども、彼らはみんなあの前田検事と業務上の関与があったんですか、あったから処分を受けたんですか。

河井克行

1994-06-07 第129回国会 衆議院 法務委員会 第3号

平成三年度は、定年退官された方が二十三名、それから依願退官、任期終了等で中途退官された方が七十九名、合計で百二名でございます。平成四年度は、定年退官された方が二十六名、依願退官、任期終了等で中途退官された方が五十八名、合計八十四名でございます。平成五年度は、定年退官された方が四十五名、中途で依願退官等された方が六十一名、合計百六名になっております。

堀籠幸男

1989-03-28 第114回国会 参議院 法務委員会 第2号

そして、この処分が行われた一月三十日分限戒告、その後すぐ二月三日、本人依願退官をしておりますが、まさにこれは依願退官をする、いわば任意退職をするからという前提のもとで甘い処分をしたというように受け取られても仕方がない状況だってあるんですよ。こういうことで一体裁判官に対する信頼が確保できるのか。

橋本敦

1985-02-20 第102回国会 衆議院 法務委員会 第3号

しかし、松永元判事は事件後早速退職を申し出ていたので、八月一日付で穏やかな依願退官を認められたとあります。およそ裁判官なるものは主権者国民を裁く、これほど崇高な権威を持つものはない。最高権威に立つものであるが、そこにこんな万引きのやからがまじっていたとは全くたまげたことであります。  

伊藤昌弘

1969-06-26 第61回国会 参議院 外務委員会 第16号

それからその次に、そういったような私の考え方、それから外務省の事務当局考え方本人に伝わりまして、そうして、先ほど申しましたように、本人といたしましても辞表を出しておるわけですから、それで、それに対して通常の依願退官という手続をとりつつあるわけでございますから、したがって、これがどういう公務員法上のなにになるかとか、あるいは、これは認証官であるから、認証官についてはどういうふうなあれがあるということもいろいろございましょうけれども

愛知揆一

1962-02-09 第40回国会 衆議院 法務委員会 第4号

ところがその後、次の判事補から判事に任命する期間におきまして、定年退官であるとか、依願退官であるとか、あるいは死亡であるとかその他の関係でぼつぼつやめていかれる方があるということで欠員が多少出てくるわけであります。その時期その時期によって多少は違いがございますけれども、いつも必ず裁判官が充員されておるという状態ではないわけでございます。

桑原正憲

1961-03-09 第38回国会 衆議院 法務委員会 第5号

守田最高裁判所長官代理者 判事欠員は、定年退官とかあるいは任期終了依願退官あるいは転官死亡といったようなことで、減員になっていくわけでございます。そのうち最も多いのが定年退官でございまして、昭和三十五年四月一日から三十六年三月三十一日——ですから三月の分は予想でございますけれども、定年退官になるものが合計二十九名でございます。

守田直

1955-06-24 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第4号

自来あるいは高等学校教授図書監修官教学局教学官そのほかを歴任いたしまして、終戦昭和二十一年の二月に依願退官になっております。そのときに、やめまして職を求めて教科書会社に入った、こういうことであります。それから、あとで、二十七年の十二月にその会社をやめまして、二十八年の一月に初中等局視学官に任命された、こういうことであります。

緒方信一

1955-06-24 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第4号

昭和二十一年の三月に依願退官しました。その前の仕事をずっと申しますと、弘前高等学校教授をやったり、あるいは図書監修官をやったり、教学局教学官をやったり、教学局思想課長をやったり、さらに視学官をやったり、それから官房総務主事をやっておりました。現在は初中局の視学官であります。

緒方信一

1955-05-16 第22回国会 参議院 決算委員会 第4号

この変更の事情は、検事正につきましては後進に道を開いて退官をしたのでございましたが、図師会計課長津田課長にかわりましたいきさつにつきましては、当時図師がそのような会計処理をいたしておりましたために、多額の不足があるという疑いを当時持たれまして、調査されました結果、わかって参りまして、そういう関係図師敏依願退官をさせまして、その退職金の一部が弁償金に充てられたのでございますが、遺憾なことにはこの

竹内寿平

1953-02-18 第15回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第4号

十七年五月商工省企業局整備課長、十八年六月大臣官房秘書課長文書課長、十八年十一月軍需大臣官房秘書課長、二十年三月軍需省機械局長、二十年八月商工参事官になりまして、終戦連絡部部長、次いで終戦連絡部長になり、二十年十一月内閣参事官、二十一年八月経済安定本部第一部副部長、二十一年十二月経済安定本部第一部長、二十二年五月依願退官二十二年六月株式会社東京計器製作所取締役会長に就任、二十三年十二月株式会社東京計器製作所

橋井真

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